スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

はてなブックマークに追加

視える人「神社めぐりは賛成できません」⇒私「ショボーン(´・ω・`)」

先日、霊能力者というか、霊視できる方にお会いしたんです。

ちょっとお話ししたのですが、その方は基本的には「神社めぐり、パワースポットめぐりは賛成できない」とおっしゃっていました。

神社めぐりが好きなワタクシですが、妊娠出産してからはほとんど参拝に行けておりません。
寂しい限りです。

神社めぐりをしていた時でも、お願い事はせず観光で訪れたご挨拶の参拝がほとんどでした。

その方がおっしゃるには「神社には、願いを叶えてもらおうと他力本願な人が大勢やってきて、昔のように清らかな場所ではなくなってしまったケースが多い」と。

「今の日本の情勢もあるんですけどね…」とも。

私には、幽霊もキツネもヘビも天狗も龍も視えません。

だから、神社でよからぬモノをもらってきてしまった…などということは分かりません。

ただ、わかっているのは、神社は信仰の対象が祀られている場であったり、崇りを鎮めるための場である、といことです。

神社はパワーをもらいに行く場所ではなく、感謝する場なのではないか、とも思います。

だから、確かに…カフェや温泉やテーマパークのような気持で行くのは、ちょっと違うのかもしれません。

そうは言いつつも、神社を守る森林の爽やかな空気、本殿や拝殿の見事な彫刻、歴史…それらは観光気分を刺激しますし、「あー、なんだか元気が出て来た~」とも思います。


視えている方たちには、何が視えているのでしょうか。

「神社めぐり 危険」などのキーワードで検索してみました。
そういうものなのか…と、視える方の世界をちょっと想像してみました。


この世は、3次元どころではなさそうです。


関連記事
スポンサーサイト

はてなブックマークに追加

ドラマ「BORDER」最終回を観て、「共依存」と「引き寄せ」を思い出した。許しとは何か?

小栗旬主演の木曜ドラマ「BORDER」(テレビ朝日)最終回を観て、切ないなぁ…と、やりきれない気持ちになったが、リアルで真実味がある終わり方だとも思った。

頭に銃弾を受けたことにより、死者と会話できるようになった主人公・石川。

突然手に入れた「特殊能力」を使いこなして、悪を追い詰める。はずだった。

実際は、能力に振り回され、もっとも忌み嫌っていた「悪」の世界へ足を踏み入れてしまった。

「能力」さえ手離していたらこうはならなかったのか?

母が言っていた言葉を思い出す。

「お金と刃物は人目に付くところに置いてはいけない。あれば使ってしまうのが人間なのだから」


悪を絶対に許さない、という強い気持ちがさらに許しがたい悪を引き寄せ、そして、「許せない自分」を引き寄せてしまったのだろうか。

そもそも、彼はいつから悪を許せなかったのだろうか。

被害者に深く感情移入してしまうのはいつからなのだろうか。

---

共依存の仕組みを説明するときの例で、

「誰か(何か)を救いたいと思っている人は、本当は自分が救われたい」
「他人にひどく同情的な人は、本当は自分を憐れんでいる」

と、いうものがある。


(自分以外の)人を救いたいと思っている人は、「人を救う立場(尻拭いなども含む)」になる。

救われたいと思っている人を引き寄せるからだ。

でも、本当に救われたいのは自分自身なので、矛盾を抱える。
苦しい。
キャパオーバーになる。

一方の引き寄せられてきた「救われたい人」は依存し、責任転嫁する。

---

私もそうだった。

機能不全家庭で育ち、自分が被害者だった辛い過去を封印し、ワーカーホリックになった。

他人にひどく同情的なところがあり、かといって頼られるとその重荷に耐えきれなかった。

ずっと長い間気づかずにいたが、救われたかったのは、私自信だった。

自分に存在意義を見出せずガムシャラに仕事を頑張るけれど、頑張れば頑張るほど空回りし、独り善がりだった。

根底にあったのは「認めてほしい」「褒めてほしい」という感情だからだ。

「私は幸せになる資格などない価値のない人間なのだから、仕事を頑張るしかない。」という低すぎる自己。

反面のプライドの高さ。

仕事で認めてもらうことで自己肯定感を満足させたかったのだろう。

結婚や恋愛にそのベクトルがさほど向かわなかったのは、過去に何度か酷い失敗をしていたから。

本当に欲していたのは温かい家庭だったから、怖かったのだ。

望んでも手に入らなかったら、絶望してしまう。

だから、初めから望まなければ良い。

そうやって、真実の内なる声(アダルトチャイルド、インナーチャイルド)に気づくまで、ぐるぐる回り続けた。

【参照】<第1回>ヒプノセラピー・レイキ/燃え盛る家とのっぺらぼうの私

---

自分を救えるのは自分だけなのだ。

ダイエットと同じで、スリムになりたいのは自分。
お腹も空くし、運動して筋肉痛になるのも自分。
スリムになって嬉しいのも自分。

応援してくれるスポーツクラブのインストラクターや栄養士さんもいるけど、実行するのはやっぱり自分。

---

共依存の例えから長くなってしまった。

「悪」にフォーカスしつづけた彼が、悪に引き寄せられるのは当然のような気がする。

ミイラ取りがミイラになったのだ。

まず、「自分の幸せ」を得ることにフォーカスすれば、正義の世界に居続けられたんじゃないか。

他人の、世界の幸福を願うなら、まずは自分が幸福感でいっぱいになるのが先だ。

溢れた幸福が家族へ、友人へ染みわたるのを信じるしかない。

輪が広がっていくように。

でも、押し付けることはできない。他人が幸福感を感じるかどうかは、他人が決めることだから。

---

足を踏み外すのは一瞬。

踏み外して、ふと我に返る。

さっきまで居た場所に戻ろうとし、足元を見ると…崖。

あちらの岸とこちらの岸の間には深い深い崖。

来る時には、崖なんて見えなかったのに…。



足を踏み外さないためには、「独り善がりな欲ではなく、個が全体に通ずる幸福感」にフォーカスすることなのだろうと思う。

もし、踏み外してしまったら…容易には戻れないからBORDERなのだろう。

死者が蘇らないのと同じなのかもしれない。

それでも、物語の主人公・石川に思うことは、罪を償い、生きてほしい。

決して、最後のBORDERを越えてほしくない。

---

誰かを(何かを)許せない人は、自分を許せないのだろうか。

心の奥底に、許してあげたい自分がいるのだろうか。

許せなくても、せめて赦していけたら。




関連記事

はてなブックマークに追加
にほんブログ村 旅行ブログ パワースポット・スピリチュアルスポットへ
にほんブログ村へワープ!


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。